明理

《景岳全書》張景岳

【原文】

 1.萬事不能外乎理,而醫之於理為尤切。

 2.散之則理為萬象,會之則理歸一心。

 3.夫醫者,一心也;病者,萬象也。

 4.擧萬病之多,則醫道誠難,然而萬病之病,不過各得一病耳。

 5.譬之北極者,醫之一心也;萬星者,病之萬象也。

 6.欲以北極而對萬星,則不勝其對,以北極而對一星,則自有一線之直,彼此相照,何得有差?

 7.故醫之臨證,必期以我之一心,洞病者之一本。

 8.以我之一,對彼之一,既得一真,萬疑倶釋,豈不甚易。

 9.一也者,理而已矣。

 10.苟吾心之理明,則陰者自陰,陽者自陽,焉能相混?

 11.陰陽既明,則表與裏對,虚與實對,寒與熱對,明此六變,明此陰陽,則天下之病固不能出此八者。

 12.是編也,列門為八,列方亦為八,蓋古有兵法之八門,予有醫家之八陣,一而八之,所以神變化,八而一之,所以遡淵源。

 13.故予於此録,首言明理,以統陰陽諸論,詳中求備,用帥八門。

 14.夫兵係興亡,醫司性命,執中心學,孰先乎此?

 15.是即曰傳中可也,曰傳心亦可也。

 16.然傳中傳心,總無非為斯人斯世之謀耳,故復命為傳忠録。

【漢文の書き下し方の注意】

1.必ず文語文にて活用させる。

2.読んで、おかしい所は「復文」をしてみる。

3.返り点を付けてみる。

 おかしい時は

  1.解釈の違い  2.読み誤り  3.読み習慣の違い  がある。

 たとえば、最初の一行目「醫之於理」を、誤って「医における理」と書き下しをしたとする。これを復文してみると、「医における理」--->「於医之理」となってしまう。原文は「医之於理」であるから明らかな誤りである。

 この場合、「之於」(〜の〜における)というイディオムを知らなかった為に誤りが生じた。正しくは「医の理における」である。

【句読点の注意】

 中国語の句読点は、数多くある。日本語では「、」と「。」しかないが、中国語では「、」「,」「;」「:」「.」が出てくる。

 「、」は単語どうしをつなぐので文は切れません。「,」は日本の「。」に近い句読点です。「;」(セミコロン)2つの文を比較する時に使います。日本語では「、」や「。」になります。「:」(コロン)は、題目をあげて説明する時に使用します。タイトルに近い感じで使います。「.」(ピリオド)は文の終わりに使います。日本語の「。」です。

 これらの事を考慮して書き下しをしなければなりません。もちろん書き下し文は日本語になるので、句読点は「、」と「。」だけです。訳す意味で中国語の句読点の意味あいを出すのです。

 たとえばA;B となっていれば「ABと」と訳し、ABが並列である意味あいを込めます。どこまでかかるかは、後ろの「と」の位置で決まります。現在での日本語の用法では、後ろの「と」を略すことが多いので注意が必要です。意識して使用しなければなりません。

【書き下し文】

 1.万事理を外ハズるること能はず。しかして、医の理におけるは最も切なりとなす。

2.これを散ずれば理は万象となり、これを会すれば、すなわち理は一心に帰す。

3.夫れ医なるものは、一心なり。病は万象なり。

4.万病の多きを挙ぐれば、すなわち医道は誠に難し。然りしこうして万病の病も、各々は一病を得るに過ぎざるのみ。

5.これを譬タトふれば、北極は医の一心なり。万星は、病の万象なり。

6.北極を以て、万星に対せんと欲すれば、すなわちその対に勝たず、北極をもって一星に対すれば、すなわち自オノズカら一線の直有りて、彼此相照らすに、何ぞ差あるを得んや。

7.故に医の臨証は、必ず我の一を以て心し、病者の一を洞するを本と期す。

8.我の一を以て、彼の一に対し、既に一真を得るからには、万疑ともに釈トク。豈アニ甚だしくは易からざらんや。

9.一イツなるものは、理のみ。

10.苟イヤシクも吾が心の理、明らかならば、すなわち陰は自ら陰、陽は自ら陽、いずくんぞ相混ぜんや。

11.陰陽既に明らかなれば、すなわち表と裏と対ツイし、虚と実と対し、寒と熱と対し、此に六変を明らかにすれば、すなわち天下の病固り、此の八者を出ずること能はず。

12.この編や、門に列し八となし、方を列するも亦た八と為す。蓋し古イニシエに兵法の八門有り、予に医家の八陣有り。一にしてこれを八とするは、神の変化するゆえん。八にしてこれを一とするは、淵源に遡サカノボるゆえん。

13.故に予此に於ひて録す。首ハジめに明理を言い、以て陰陽諸論を統じるために、詳しく中に備えを求め、用モッて八門を帥ヒキひる。

14.夫れ兵は興亡に係わり、医は性命を司ツカサドる。執中と心学と、孰イヅれか乎コれを先にせん。

15.是を即ち伝中と曰ふも可なり。伝心と曰ふも亦た可なり。

16.しかれども伝中、伝心は、すべてその人為すに非ずも無く、その世の謀なるのみ。故に復た伝忠録と為すと命ず。

釈義

1.どのような事も、理を外れることはできない。そして医の理においてはさらに大切である。

2.これを広く散らせば、理は森羅万象となり、これを会合すればすなわち理は一心に帰す。

3.そもそも医というものは、一心であり、それに対し病は、森羅万象である。

4.万病の多いことをあげれば、医の道は誠に難しくなる。しかしながら、万病の病といっても患っているのは一つの病にすぎない。

5.北極を医の一心にたとえれば、万星は病の森羅万象となる。

6.北極をもって万星に対応すれば、対応できず、北極を一つの星に対応させれば、一直線があり互いに照らしている。それは、どのような差があるだろうか。

7.医の臨証は、必ず我の一をもって心し、病者はこの一を洞察して本とするを期す。

8.我の一をもって、彼の一に対応することは、すでに一真を得て、万とある疑を釈く。まことに易しくないことである。

9.一というものは、理だけである。

10.いやしくも吾が心の理が明らかなれば、すなわち陰はみずから陰に、陽はみずから陽にとなる。どうして混同しようか。

11.陰陽がすでに明らかになれば、すなわち表裏が対応し、虚実が対応し、寒熱が対応する。ここに六変を明らかにすることができる。この陰陽を明らかにすれば、天下の病はこの八つからは出ることはない。

12.この編は、部門を八、方剤も八にわけて列した。古に兵法の八門があるが、予は医家の八陣ありとして、一から八になるのは、神が変化するからなのである。また八から一にまとまるのは、その源に遡るからなのだ。

13.したがって予はここに記録するに、はじめに明理を言い、それで陰陽諸論を統じるために、詳細な中に備えを求め、もって八門に帥いた。

14.そもそも兵は興亡に係わり、医は生命をつかさどる。執中(朱子学)と心学(陽明学)のどちらを先にしたらよいのだろうか。

15.これをすなわち伝中とするのもよいし、伝心とするのもまたよい。

16.しかれども、伝中、伝心は、総じてその人のその世における謀である。だからここに伝忠録として名づけた。

【現代意釈】

1.どのような事柄も、理論を離れることはできない。そして医学の理論においてはさらに大切である。

2.これを拡大すれば、理論は演繹的に森羅万象に広がり、これを帰納すればすなわち理論は一心に帰す。

3.そもそも医学というものは、一心であり、それに対し病気は、森羅万象である。

4.病の種類が多いことをにとらわれればば、医学の道は非常に難しくなる。しかしながら、種類の多い万病の病といっても患っているのは一つの病気にすぎない。

5.北極星を医学の一心にたとえれば、夜空の多くの種類の星々は病気の森羅万象となる。

6.北極星一つに対して万星に対応すれば、とても対応できない。しかし北極星を一つの星に対応させれば、一直線をひけ、互いに照らしているだけであり簡単である。それらは、どのような相違があるだろうか。

7.医学の臨床は、必ず医師の一をもって心し、患者はこの一を洞察して本来とすることを期待する。

8.医師の一をもって、患者の一に対応することは、すでに一つの真実を得て、万とある疑問を解決する。まことに易しくないことである。

9.一というものは、理論だけである。

10.いやしくも自分の心の理論が明らかなれば、すなわち陰はみずから陰に、陽はみずから陽にとなる。どうして混同しようか。

11.陰陽がすでに明らかになれば、すなわち表裏が対応し、虚実が対応し、寒熱が対応する。ここに六変を明らかにすることができる。この陰陽を明らかにすれば、天下の病はこの八つからは外れることはない。

12.この編は、部門を八、方剤も八にわけて列した。古に兵法の八門があるが、私は医家の八陣ありとして、一から八になるのは、神が変化するからなのである。また八から一にまとまるのは、その源に遡るからなのだ。

13.したがって私はここに記録するに、はじめに明らかな理論いわゆる明理を言い、それで陰陽諸論を統じるために、詳細な中に備えを求め、もって八門にした。

14.そもそも兵は興亡に係わり、医は生命をつかさどる。執中(朱子学)『中庸の道』と心学(陽明学)のどちらを先にしたらよいのだろうか。

15.これをすなわち中庸を伝える(伝中)とするのもよいし、心を伝える(伝心)とするのもまたよいだろう。

16.しかれども、伝中、伝心は、総じてその人のその世における理論である。だから私はここに、この章を伝忠録として名づけることにした。

訓読

訳について

釈義

現代意釈

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