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栗園医訓 五十七則

 

一、①常に須らく此れを識り誤ら令むる勿れと云ふこと、平生油断すべからず心得ふべし。

義、詳らかに釋して学規に載す故に贅せず。

一、②脈証を審らかに弁じて治法を定むる事、医第一に研究すべし。

随証之と法をて之を治と云う事、経語を熟読すべし。

一、③病因と病源と病症とを詳らかにすべき事。

因は外因内因不内外因の類又水気瘀血邪気の類也。源は風寒暑湿燥熱又た表裏内外虚実寒熱陰陽の類也。症は頭痛発熱吐利煩燥のるいなり。

一、④虚心にして病者を診すべし。何病を療治するにも、兎角早見えの為る時、拍子に載せられて、誤るものなり。

一、⑤新病と痼疾とを別ち、先ず新病を治して而る後に痼疾を療すべし。

一、⑥古方を主として、後世方を運用すべき事。

一、⑦其人の強壮羸弱と病の軽重緩急とを権りて薬の大小多少の剤を定むべし。

此を医の三権と云う説、傷寒名数解に詳らかなり。

一、⑧傷寒雑病とも三陰三陽の病位を定むべき事。

善く金匱を読まざれば雑病に三陰三陽あるを知らず。痙病に太陽の冒首あり中暍に太陽と云い水気に陰水と云い其の陰の他に陽在るを去るの語類推して知るべし。

一、⑨各国の風土、病情を審らかにすべき事。

一、⑩病情病機と云うことを弁別して、其の情機を失ふべからず。

病情の字、素問に出て病の寒熱虚実皆これを情とするは非ざる也。病機の字本草序例に見て邪の進退消長、勢の緩急劇易皆これを機と云う也。

一、⑪正気と邪気とを紊ミダるべからず。

一、⑫巫フを信じて医を信ぜざるものと、財を重んじて命を軽くするものは、速やかに辞しさるべし。

一、⑬少年、壮年、老衰に拘コダワりて、治法を誤るべからず。

一、⑭諸病、先ず必ず、順、険ケン、逆を定むべき事。

順証は論なし。険証は周時油断すべからず。逆証は治せず速やかに辞しさるべし。

一、⑮陰陽、表裏、虚実、寒熱は医家の心法なり、萬病に臨んで此の八つを精細に弁ずべし。

一、⑯婦人を診シンするに、必ず先ず経期の当否、胎産の有無を詳らかに問ふべし。

一、⑰壮男ソウナンを診シンするに、黴毒チョウドクの有無を諦視テイシすべし。

一、⑱薬は偏性の者なり、無毒平淡の品と雖も、攻むべきの病なければ、妄ミダリに用ゆべからず。況んや有毒酷烈コクレツの品に於てをや。

一、⑲病者は必ず宿疾を詳らかにすべし。風家、喘家、淋家、酒客の類、是なり。

一、⑳貴薬を重んじて賤味センミを軽んずべからず、他山の石イシ、玉を攻む(みがくこと)と云うこと苓レイ、時ありて帝と云うを玩味すべし。

一、(21)諸病ともに胃気の旺衰を視るべし。故に傷寒論中、往々胃気を論じて諸症の段落とす。

一、(22)病は気血の変なり。脈を診する、尤も気血の盛衰を察すべし。

夫れ病の虚実は邪の進退及び生死之訣、皆脈に於いて之を験するときは気血の先規と謂はさるを得す且つ脈の変を知るとは裏熱外熏の証、邪、上焦に結ぶの症、血分灼熱の証、虚寒陽越の症、皆脈をして浮ならしむ。病表に在りて熱外に盛んにして浮を為す者と自オノズカら異なり是其の一端なり。

一、(23)鍼灸は輔治ホチ(補助療法)の要術なり。痼疾尤も其の治効を明かにすべし。

  按ずるに針は瀉に属し灸は補に属す。千金小兒門に癇に灸(炙は誤字)するも当に先ず下し兒を虚せ使むべし。乃ち虚を承り之に灸し、未だ下らず実に有り而て灸する者は気逼セマり前後通ぜず人を殺すと徴キザすべし(徴す:起こる気配)

参考)凡小兒有癖,其脈大必發癇。此為食癇,下之便愈。當候掌中與三指脈,不可令起而不時下。致於發癇,則難治也。若早下之,此脈終不起也;脈在掌中尚可早治,若至指則病增也。千金翼方 卷第十一‧小兒 唐‧孫思邈

一、(24)諸病に不治の証、不順の脈と云ふことあり。心得ウべし。

一、(25)診定しがたき病人に妄ミダリに薬を施すべからず。

一、(26)小児に専疾あり、亦た専薬を施すべからず。

胎毒、解顱カイロ、驚癇、馬脾バヒ、の類これなり薬も亦、巴豆馬明鼹鼠アンソの類は大人に用ゆるときは効を異にするものあり。

 

参考)馬脾風病  「本草綱目」 の牽牛子のところに応用として次の様に記載がある。

 〔馬脾風病〕 小児が急驚し、肺脹し、喘満し、胸高く、気急し、脇が縮み、鼻が張り、悶乱し、咳嗽し、煩渇し、痰が潮して声の嗄れるものを俗に馬脾風 (ジフテリヤ)と名付ける。 急に治療せねば旦夕に死亡する。

白牽牛を半生半炒にし、黒牽牛を半生半炒にし、大黄を焙り、檳榔と各末一銭を取り、五分づつを蜜糖で調えて服す。
痰の盛んなるには軽粉一字を加える。 これを牛黄奪命散と名付ける。

一、(27)薬剤の再煎、麻沸及び先煮センシャ、後煮コウシャの別、混ずべからず。

一、(28)湯、散、丸の分別、研究すべし。

此の三法薬病各々宜しき処あり。乃ち別ある所以ユエン也。婦人妊婦に中アタり丸、散多くして湯剤少なし。以て其の端ハジメ(理由、原因)を悟るべし。

薬効を高める

一、(29)薬の修治は、製して毒(薬効)を増すものは必ず製すべし。

一、(30)病、上焦にあるものは、必ず薬剤を軽くすべし。又腹満、水腫等の如きは薬剤を大量にすべし。

一、(31)蚘蟲カイチュウを兼ぬるものは、先ず駆虫の剤を与へ、而シカる後に本病の薬を与うべし。

一、(32)汗、吐、下、和、温の別、能くよくケン別すべし。

根拠は何か

一、(33)故なくして処方を転ずべからず。山東洋(山脇東洋)常に戒めて曰く、医自オノズカら易カふと云う。

一、(34)陰、陽、表、裏は病の位なり。発、攻、温、清は法の極なり。大小二一(大法・小法:君2臣1)は方の製なり(作り方)。此の三者を詳らかにして、治療精細にすべし。

一、(35)医経経方は医の法なり。臨機応変は医の意なり。医意を精しくして聖治を用ゆるときは上工に至るべし。

一、(36)治療に先後と云う事あり。或は先表後裏、或は救裏治表、或は先ず小建中を用ひて後に小柴胡、或は小承気を与へて後に大承気、或は小柴胡を与へて後に柴胡加芒硝、或は甘草湯より桔梗湯と云ふ、先後の次第を誤るべからず。

一、(37)逆治と云ふことを慎むべし。汗すべきを下し、下すべきを吐するの類なり。

一、(38)治療に逐機、持重と云ふ二端あり。逐機は病ヤマイ変ずるときは方随シタガって転ずるなり。持重は病動かざるときは泰然として一方を主張するなり。持重は常なり。猶、経ケイ(原則)と権ケン(臨時の処置)とを知らざれば道、全マッタからざるが如し。

一、(39)脈学は、先ず浮沈の二脈を経とし、緩急、遅速、滑濇カッショクの六脈を緯タテとして、病の進退、血気の旺衰を考究するときは、其の餘の脈義、追々手に入るものなり。

一、(40)脈を捨て証をとることあり。脈沈遅に柴胡、承気を用ゆるの類これなり。証を捨て脈をとることあり。頭痛発熱に麻附細辛、四逆を用ゆるの類これなり。取捨の間、即ち医の枢機なり。精苦セイク分別すべし。

一、(41)古人病を診シンするに、初一念と云ふことあり。是は常に病人を診するに、先ず其の容貌を見、未だ其の脈を診せざる先に、何とやらん初一念に叶はず形気あしく死相を具ソナへたる病人あり。又初めて診するに、何イカほど苦悩強き病人も形気初一念にあしきことなく、死相を具へざる者あり。此の二つの者は未だ脈を診せずといへども、其の善悪自然と初一念にうかぶなり。此れ眼目を平生よくよく心懸カくべし。

一、(42)医の術は活物カイブツを向ムコウに引き受けてすることなるに、死物の規矩準縄キクジュンジョウを引きあててする事、間違いのことなり。青洲の活物カツブツ窮理と云ふこと、尤モットモのことなり。『医範提綱』イハンテイコウや『全体新論』ゼンタイシンロンを読みて医を論ずるものは夢中の談と云ふべし。

一、(43)医家の一枚イチマイ起請キショウと云ふことあり。胸膈くつろがざれば心下はすかず、表解せざれば裏和せずと云ふ如き、肝要の手段を領得するを云ふなり。

一、(44)病人其の勢い猛烈にして対証の薬を用ひて反って扞格ウカクの勢い益々熾んになる者は、彼の幕にて鉄炮(鉄砲か)を受くるの術を行ふべし。是れ万病に望む第一の心得なり。

薬の飲ませ方

一、(45)服薬の法、徐服、頓服、冷服或は露宿、或は時に先だって服すなど、よく其の時合を考へて、夫々ソレゾレの宜しき処に随ふべし。熱因寒用して、附子を冷服せしむること、最も妙用なり。

一、(46)医に大家小家の別あり。大家の療、治風をよく見習ふべし。小家の療、治を学ぶは、自然と小刀細工になり、上達せぬものなり。

一、(47)医按を書くには冠宗奭コウソウセキの『本草衍義』ホンゾウエンギ凡例の按、許叔微キョシュクビの『本事方』の按を主とすべし。倉公伝の按は古文なれども、儒者の手になりて学びがたし。

一、(48)医学の次第、周には四職とす、漢には医経、経方と定むれども、其の書伝はらず。宋には脈病証治の四科とす、是を規則とすべし。

一、(49)『周礼』の天官医職、『史記』の扁鵲伝、『本草序列』、『千金方』の大医習業の四部は医家必読の書なり。熟読すべし。

一、(50)本草毒草の部、尤も鴻益コウエキあり。熟読すべし。

一、(51)病に標本と云ふことあり。標は現今の急証なり。本は本源の病なり。時に臨んでは、その本源を捨て急を救ふべし、故に「急がば則ち其の標を救ふ」と云ふなり。

一、(52)病に主客の別あり。故に一方中にても主客の差別あり。桂枝()は解肌を主とす。桂枝にて解肌すれば、頭痛、身疼、発熱、悪寒等の客証は癒ゆるなり。小柴胡湯は胸脇の邪を清解するを主とす。柴胡にて胸脇苦満、心煩を治すれば、往来寒熱、或証ワクショウ等ナド、幾多の候は治するなり。また、宿食腹満なれば先ず其の食滞を去らば腹満は癒ゆるなり。宿食を捨て腹満の薬を用ゆるときは癒ゆることなし。是を主客の別とする也。又一証の中にも主客の別あり。吐而シて渇するものは吐を以って主とす。満而シて吐す者は満を以って主とす、此の類タグひ尤も多し。

幅を持って教えよ

一、(53)一方中に劇易と云ふことあり。大柴胡湯は心下急、鬱々微煩等を易証とす、心下痞鞭、嘔吐而下利等を劇証とす。小建中湯は悸而て煩を易とす、腹中急痛を劇とす。呉茱萸湯は嘔而て胸満、或は乾嘔、吐涎沫、頭痛を易とす、吐利、手足厥冷、煩燥欲死を劇とす。此の類ひ尤も多し。

類証鑑別を明確に

一、(54)証の有無と云ふことも心得べし。桂枝湯は悪寒ありて喘なし。麻黄湯は喘ありて悪寒なし。桂枝湯は発熱あれば身疼痛あり、もし痛あれば発熱なし、麻黄湯は発熱して疼痛あり、もし発熱、悪寒、身疼痛する者は大青竜湯なり。葛根湯は項強ありて頭痛なし。桂枝湯は頭痛ありて項強なし。発熱の一証も、頭痛悪寒あれば桂枝湯、嘔あれば小柴胡湯、唯発熱ばかりなれば調胃承気湯なり。此の目的を失ふべからず。

症状だけでなく原因をはっきりさせる

一、(55)提因テイインと云ふこと知るべし。咳喘の証、表邪によらざるものは「心下に水気有り」と因を提カカグるなり。少腹満の症も小便不利によらざるものは熱結膀胱と因を提カカグるなり。此の類猶多し、研究すべし。

病位を明瞭に

一、(56)病の所在と云ふことあり。表裏内外を以て分かつべし。一身頭項背腰等は表なり鼻口、咽喉、胸腹、前後竅(竅:耳目鼻口などの9つの穴)裏なり。外体に専らなるものを外証と云ふ。外面にあづからず、内に充満するものを内症と云ふ。此れ四証を区別して方を虚するを病の所在を知ると云ふなり。

一、(57)病証の診察に熟する上は、方と法とを審らかにするを要とす。薬に方と云ひ、治に法と云ふ、法定まりて而して後に方定まるものなれば、先ず其の治法の先後、順逆、主客を審らかにして、処方を定むべし。方と云ふは『易』に所謂る立不易方(不易の方を立てて)の方にて、桂枝湯は桂枝の主証あり、麻黄湯は麻黄の主証あり、柴胡、承気、四逆は皆、各おの主証ありて変易すべからず、此れを失誤せぬやうに治療するを吾道の大成と云ふなり。

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