景岳全

 繁体字版

巻1  巻2~5  巻6  巻7~10  巻11  巻12  巻13~14  巻15~16  巻17~19  巻20~22  巻23  巻24  巻25  巻26  巻27  巻28  巻29~30  巻31  巻32~33  巻34  巻35  巻36  巻37  巻38  巻39  巻40~41  巻42~45  巻46~47  巻48  巻49  巻50  巻51  巻52~54  巻55  巻56~57  巻58~59  巻60  巻61  巻62  巻63  巻64

 簡体字版

巻1  巻2  巻3  巻4  巻5  巻6  巻7  巻8  巻9  巻10  巻11  巻12  巻13  巻14  巻15  巻16  巻17  巻18  巻19  巻20  巻21  巻22  巻23  巻24  巻25  巻26  巻27  巻28  巻29  巻30  巻31  巻32  巻33  巻34  巻35  巻36  巻37  巻38  巻39  巻40  巻41  巻42  巻43  巻44  巻45  巻46  巻47  巻48  巻49  巻50  巻51  巻52  巻53  巻54  巻55  巻56  巻57  巻58  巻59  巻60  巻61  巻62  巻63  巻64

景岳(15631640

中国明代医学家。名介,字会卿,号景岳,号通一子。原籍四川竹,后迁居会稽山(今浙江绍兴)。自幼明好学,博览经史百家。14岁时随父到京,曾拜名医金英(梦石)为师。壮年投笔从戎,遍历东北各地,后卸攻医学,把广泛的史、天文、数、堪、律、兵法等知运用到医学之中,很快成名医,求络绎景岳非常重《内》,《素》、《灵枢》行了30多年研究,根据个人体会,以,撰成《类经32卷。后又以解形式述《内》中运气学成《类经图翼》11卷,阐发医易同源原理写成《类经附翼》4卷。合个人丰富的临证经验和独到深湛的理,撰成《景岳全64卷。在医学思想上景岳属温学派,喜用熟地和温,人称熟地。


張景岳(1563~1640)は中国明代の医学学者であった。名は介賓、字(あざな)は会卿、号は景岳、別名は通一子。原籍は四川綿竹、後に会稽山陰(今の浙江省紹興)に引っ越した。幼少から聡明で勉強するのが好きで、百家の史を通じ広く見られた。14歳の時は父に従って首都に着いて、かつて名医の金英(夢石)に師事し医術を学んだ。働き盛りの時に文人から軍人になって、東北各地へ遍歴し、職を辞めて故郷へ帰り、医学を専攻し、歴史、天文、術策、風水、音楽、兵法などの知識を通じて医学の中まで広範なことを運用し、急速に名医になり、診察することを求める者が絶え間なかった。張景岳はたいへん《内経》を重視して、《素問》、《霊枢》に対して30年余り研究を行い、個人によって体得して、類で門に分けて、32巻の《類経》を書いた。また図解の形式で《内経》中の運気学説を詳しく述べ、11巻の《類経図翼》を編集し、“医学同源”の原理を解明して4巻の《類経附翼》に書いた。晩年には個人の豊かにした臨床経験と深くて詳しい理論によって、64巻の《景岳全書》を書いた。医学思想的にあって張景岳は温補学派に属し、温補方剤に熟地黄を喜用したがために、人は張熟地と称した。

景岳全書解説については、

http://www.1gen.jp/1GEN/KEIGAKU/

に詳しく書かれています。訳も載っています。

書き下し方の注意点

inserted by FC2 system